先週浮世橋の写真を撮りに行った。浮世橋は矢出沢川にかかる橋である。柳町から旧北国街道沿いに下流側に行くと紺屋町、鎌原(かんばら)町、西脇、新町とつづくが、鎌原町の有名な酒屋 「和田龍」の隣にかかる橋が浮世橋だ。浮世橋のすぐ下流側の橋が上須波(かみすわ)橋、もう1本下流が下須波橋、映画のロケ地として有名な高橋はさらに数本下流側になる。
上田城址公園横の体育館の駐車場に車を入れる。川に出るとそこに架かっているのは上須波(かみすわ)橋だった。橋自体はなんということはないが、橋 横に水門があるのが特徴だ。また川沿いの遊歩道に小さな水路があり、そこにも小さな水門があって水路を二股に分けている。その水路が橋を越えてどうつながっているのか確認しなかった。撮った写真から推測するに、片方(つまり主流)は橋を越えて反対側につながり(橋のところは暗渠になっているのだろう)、もう片方は例の水門のところで矢出沢川に流れ込んでいるようだ。水門の写真をよく見ると水路のあるあたりから水門に水が流れ込んでいるのが見える。水量調整のためにそうしているのだろう。川の堤をまた別の水路が流れている、いかにも水の都上田らしい光景だ。
上流側に歩いてゆく。もう一つ上流側にある橋が浮世橋である。この橋の写真を撮るのがこの日の主たる目的だった。「うえだ街歩き」というパンフによると、 志賀直哉の「豊年虫」に遊郭への道として登場するらしい。上田の旧遊郭は浮世橋から18号線を越えたあたり、今の常磐城地区にあったとされる。上田城址公 園前の道をまっすぐ太郎山の方に行って18号線を突っ切ると、右側に八十二銀行・花園出張所がある。その場所が上田電鉄真田傍陽線の上田花園駅だった。そこが遊郭へ行く最寄り駅だった。遊郭がなくなった後は東信病院(現在の長野病院)の最寄り駅として利用されたが、72年に傍陽線の廃線と同時に廃駅となった。長野県の遊郭は1878年(明治11年)にまず長野市鶴賀と上田市常盤城と松本市横田の3ヶ所に公許地として建設されたそうだ。その後飯田など他の地域にも広がり、10箇所以上あったようである。
橋自体はさびたガードレールが付いている何ということのない橋だ。しかし名前は面白い。橋越しに遊郭があった方向を眺めてみても当然ながら今はその面影はない。世紀末以上に世紀末的な憂き世が見えるだけだ。橋の横に「浮世の湯」という銭湯があったらしいが、今は取り壊されて空き地になっている。道を挟んでその空き地の向かいにある白壁の大きな建物は「和田龍」という造り酒屋である。
橋を渡り、北国街道に出る。浮世橋を撮ったついでに、旧北国街道を和田龍から高橋あたりまで歩いてみた。最初に目に付いたのは鎌原自治会館の建物。蔵のような造りに格子戸。うだつを2つ付けている。町並みを壊さない、落ち着いたいい建物だと思う。少し先へ行くと右側にうだつのある家が目に入ってくる。その横の路地を入ると下須波橋に出る。ここは右岸側が少し張り出していて、そこが小さな公園風になっている。バケツを下げた子供たちがいたので、魚でも釣っていたのかも知れない。左岸側は大きな節くれだった木が川の上にまで大きく枝を張り出している。川辺に立派な家が建っていて、雰囲気のいいところだ。
また北国街道に戻る。次に目に入ったのは農民美術橋本工芸。格子窓と出窓の組み合わせが落ち着いた佇まいを醸し出している。玄関のドアも同じ色に合わせているので、全体に統一感がある。家の前の木もいい位置に立っている。農民美術とは上田ゆかりの芸術家、山本鼎の提唱により農家の冬の副業として広まった。 作品は主に木彫工芸品である。信州の農民の長い農閑期を有効に生かすだけではなく、名もない農民一人ひとりの手仕事から美術作品が生まれるという啓蒙運動でもあった。
その先に隣り合って向源寺と新町コミュニティ集会施設がある。向源寺の鳥居をくぐって矢出沢川の方に行くと赤い欄干が目に鮮やかな向源寺橋がかかっている。新町コミュニティ集会施設は94年に都市景観賞を受賞している。よく見るとうだつも付いている。蔵を意識した造りが街道の町並みにマッチしているところも評価されたのではないか(ただし名前がダサい)。
その少し先で街道は右に曲がり高橋をわたる。ここは橋そのものよりもその下の川原の方が有名である。何度も紹介してきたが、よく映画のロケ地として使われるところだ。「たそがれ清兵衛」で大杉漣と真田広之が決闘するシーンを撮った川原だといえば分かるだろう。しかし川原ばかりではなく橋の周りの風景自体が 素晴らしい。写真の正面に写っている土蔵、左岸側の石垣とその上の白い蔵と赤い祠。右岸側の張り出した部分は親水公園のようになっていて、木や花が植えら れている。
もちろん両岸を緑が覆った川原も素晴らしい。高橋のすぐ先で川は大きく左に湾曲し玉姫殿の方に流れ下ってゆく。高橋から玉姫殿あたりまでが矢出沢川のいちばんきれいなところだろう。この部分は水路というより川という面貌を見せている。
川沿いに向源寺へ向かう。赤い向源寺橋を渡ってまた北国街道に出る。体育館に戻る途中きれいなマンホール2つと「手作り工房 蔵やしき」を発見した。「蔵やしき」は手作り工房らしいシャレた造りが気に入った。玄関のステンドグラスはシールではなく恐らく本物のガラス。ここまでセンスよく作るのは意外に難しい。短い散歩だったが収穫は多かった。
旧北国街道も新しい建物が増え、古い建物は少なくなった。しかし新旧の建物が入り混じっていて違和感がない。海野塾のような家並みのそろった美しさはないが、近くに矢出沢川が流れていて散歩するにはいい場所だと思う。