8月2日に生島足島(いくしまたるしま)神社と長福寺の写真を撮ってきた。もうだいぶ前になるが、忘れないうちに記事にまとめておくことにした。
生島足島神社は家からも職場からも近いところにある。なまじ近くにあるとわざわざ写真を撮りに行ったりしないものだ。前に一度写真を撮りに行ったが、それは橋を取るのに夢中になっている時期で御神橋を撮りに行ったのである。文字通り橋だけを撮ってきた。今回改めて生島足島神社に行ったのは、「信濃の国塩田平札所めぐり」というパンフに載っていた「遍路堂」を探すためだった。生島足島神社の宮司に聞いてみると、廃仏毀釈のため今はなく、裏の長福寺が代わりの札所となっているという。長福寺には後で行ってみることにして、まず生島足島神社の写真を隈なく撮った。
面白いことにカメラを持つといろんな発見がある。それまで何度も行ったことがある神社だが、ずいぶんいろんなものを見落としていたことに気づかされた。なんと、神社の本社は神池という大きな池の小島の上に建っていた!何度も見ていたのにそのことに気づかなかった。屋根のある御神橋は島にかかる橋だったのである。
本社の横に赤い小さな祠があった。13の神を祀る十三社が入っている祠らしい。本社の正面に戻ると、横の机の上に「おみくじたまご」が置いてあった。これも初めて気がついた。卵型の入れ物の中におみくじが入っている(初穂料200円)。卵の殻の部分は最中の皮で作られているので鯉のエサになるという。
本社は北向きになっていて、正面にある摂社諏訪社本殿と正対している。本社は昭和16年建立と説明文にあるからずいぶん新しい建物だ。面白いのは神社のご神体が内陣の土間だということ。「万物を育む大地を神として崇める最も古い神社の形式を伝えるもの」だと説明されている。なるほど、稲を育てる泥そのものを祭る泥宮とその点で共通していると納得。そして諏訪神社の前にある2本の欅。樹齢800年を越える老木で、「夫婦欅」と名づけられている。夫婦円満、子宝安産、延命長寿に神徳があるとか。メスと思われるほうは根元の洞の形と大きさがなるほど微妙だ。洞の中に提灯が吊り下げられ、注連縄をまわした石が置かれている。オスと思われる方は洞というよりも巨大な裂け目になっている。根元がほとんど空洞になっていて、これでどうして枯れないのか。どうやって上部に水分を送っているのか。実に奇怪で不思議な木だ。
諏訪神社の隣にあるのが歌舞伎舞台。ずいぶんいろんな神社を見てきたが、やはりここの歌舞伎舞台がいちばん立派だ。農村歌舞伎舞台として、全国でもトップクラスだと説明文にある。歌舞伎舞台の斜め前に「戴明学校・下之郷学校跡」と書かれた標識柱が立っていた。それぞれ明治7年から15年、明治15年から17年まであったと書かれている。同じ学校が15年を境に名前を変えたということだろう。それにしても神社の境内に学校があったというのは面白い。西洋の教会も日本の神社も学問の場所だったのである。そういえば、古安曽の西光寺仁王門向かいにある佐加神社の境内にも「富士山学校跡」と記した標識柱があった。
諏訪社と御神橋の間に立っているのは神楽殿。その横に下神井様と呼ばれる諏訪神社井戸神がある。井戸をはさむようにして大きな木が2本立っていて、その井戸時を赤い柵が取り巻いている。こんな風にすると井戸も立派なものに思える。
諏訪社と歌舞伎舞台の裏側にはそば処「下之郷」と報恩殿がある(一つの建物としてつながっている)。道を挟んでその向かい側にあるのが長福寺だ。そこから道を引き返して、西門を過ぎて神社の南側に回る。そちら側は始めて足を踏み入れる。御仮殿、秋葉社、八幡社、荒魂社などの祠が散在しているが、一番目を引かれたのは歌人太田水穂と峯村国一の歌碑である。小さな祠がいくつかあることには気づいていたが、歌碑まであることは知らなかった。やはり歩いてみるものだ。
さて、一通り生島足島神社を見て回ってので、いよいよ長福寺に行ってみることにする。なるほど札所があった。説明文には「塩田平札所めぐり」の起源が次のように書かれている。四国があまりに遠いのでいっそ四国霊場の仏像八十八体を塩田にお迎えしたらどうかと、江戸元禄時代に次郎兵衛という庄屋が思いついたことから始まったという。こういう発想が生まれること自体がすごい。塩田一帯には数多くの寺社があるが、どうやらずいぶん信仰熱心な土地柄だったようだ。門を入って右側に平屋の建物があるが、ここには「ネットワークハウス縁舎」が入っている。この「縁舎」は、地元の長野大学の学生たちが中心になって結成した「学生地域くらし創り考房こみっと」の地域との交流拠点として作られたもの。学生と地域の人たちが交流し、共に地域づくりを考えたり実践する場である。
長福寺の建物は近代的であまり興味を惹かれなかった。むしろ「おおっ」と驚いたのは入り口の門からは死角になる所にあった夢殿である。全体に赤が印象的な八角形の建物。一部緑が配されていて、なかなか印象的なお堂だ。昭和17年建立というからまだ新しい。「信州夢殿縁起」という説明文から察するに、民家から譲り受けた観音像を安置する場所として、熱心な信者たちが寄進をして建てたということらしい。その際にどうせ造るなら奈良法隆寺の夢殿を模してはどうかと誰かが提案したのかもしれない。いずれにしても目を惹かれる美しい建物である。まだ見たことがない人には生島足島神社に行ったついでにちょっと足を伸ばしてみることをおすすめしたい。
<追加写真>
左:神社から少し離れた田んぼの横に立っている大鳥居
中:神社の近くにある別所線下之郷駅。駅舎の形は報恩殿を模している。
右:別所線の電車