2月6日、上塩尻あたりを歩いてみました。細く入り組んだ小さな路地がたくさんあって独特の雰囲気を持っている地区です。路地沿いには土塀がたくさんあり、その下には水路がある。18号線の北側は坂が多いので、石垣があちこちに組んであります。独特の情緒が残り、とても美しい町でした。
次の写真は同じ上塩尻でも18号線をはさんで反対側(南側)の地区です。ここは以前にも写真を撮ったところで(07年12月2日)、下の土塀の写真もその時撮りました。上の1枚目に載せた写真と同じタイプの土塀です。非常にユニークな色と形で、他にもあるのかもしれませんが塩尻あたりでしか見たことがありません。
この土塀がある家は「アトリエ映伎(あき)」という花と自然食を扱っている店でした。07年に来た時はただ塀の写真を撮っただけでしたが、今回は中にも入ってみました。玄関の左側に自然食品が並んでいて、正面は喫茶室になっています。
オーナーの女性と他の客が話しているのを漏れ聞いたところによると、中庭を挟んだ隣の建物は養蚕をしていたようです。店になっている建物は職人さんたちが住んでいたところを改造したそうです。
再び東福寺下に戻って、今度は路地を紹介しましょう。東福寺下界隈は路地も非常に美しい場所です。塀・土塀、水路、路地、石垣、土蔵。古い建物がたくさん残っており、歩いていて歴史を感じる町です。各小路にはそれぞれ名前が付いており(下の一番右の写真は馬場小路)、映画のロケにも使われているそうです。まだ実際には見たことはありませんが、七つ池と呼ばれる湧き水を利用した七つの池があったそうです。現在3ヶ所だけ残っているとのこと。付近住民に開放されている池もあるということですので、機会があれば写真を撮ってみたい。
東福寺下を歩いていてよく見かけたのは石垣です。坂が多いところなので石垣を積んでいるところが多く、風景の一部になっています。
3枚目は信濃石品吉の石碑です。信濃石品吉については相撲年寄だったという以外はよく分からない。神社などの奉納相撲が盛んだったということなので、その中から優れた力士が出たのかもしれません。碑が建立されたのが1888年(明治21年)ということですので、明治時代の力士だったのでしょう。東御市からは有名な大関雷電が出ていますので、塩尻出身の力士がいても不思議ではないかもしれません。
上塩尻あたりは本当に道が狭く、入り組んでいます。周りに塀をめぐらしている家が多い。そのため独特の雰囲気を持っています。塀を見ながら歩くという感じですが、この塀がまた魅力的です。塀自体を眺めるのが楽しい。
3枚目は坂にそって建っている塀ですが、塀にドアがあるのが面白い。ドラえもんの「どこでもドア」みたいな。出入り口というよりも、何かを運び入れるのに使ったのでしょうか。右上がりの塀に水平のドアが付いている違和感がまた「不思議さ」をいっそう引き立てています。
20分程度歩いただけなのですが、写真を撮りまくり、しかも捨て写真がほとんどない。むしろ削るのに苦労するほどです。この日歩いた一帯は様々な魅力がありますが、水路の美しさはその一つです。水路のある風景、なんとも味わいがあっていい。
道の横、塀の下をくねくねと縫うように流れている水路。土塀や土蔵と実によくマッチしています。水路に渡した小さな木の橋(3枚目の写真)がまたかわいらしい。水路が生活に密着していることを感じさせます。
最近雨も雪も少ないので水路には水がなかったり、あってもちょろちょろとしか流れていませんでした。山すその斜面に町が出来ているので水はすぐ流れてしまうのでしょう。七つ池があったというのも水を溜めるためでしょうか。今は、昔ほど水路は生活に密着してはいないかもしれません。それでも、水路のある風景は昔を偲ばせますね。
いろいろとこの一帯の魅力を書いてきましたが、やはりいちばんの魅力はタイトルが示すとおりです。下の1枚目の写真などはもうアートですね。わずか20分程度いただけ、ごく狭い範囲を歩いて写真を撮ったただけですが、たくさんの写真を撮りました。言い方を変えれば、町全体がある意味でアートなのですね。
月が出ていたのはまったくの偶然ですが、それさえも風景の一部として取り込んでしまう。そういう懐の深さを持っている町並み。後はアングルをちょっと考えるだけでいい写真が撮れてしまうのです。
海野宿の美しさは通り全体に統一感がある美しさです。古い家も新しい家も違和感なく並んでいる。各戸が家の前に花を植え、いろんな小物を並べている美しさ。上塩尻の一帯(特に山側)はそれに比べれば雑然としています。まっすぐの道は少なく、道も川もくねくねと曲がっている。壁の一部は剥がれ落ちている。花を飾ってある家も少ない。しかしそれがこの町の魅力なのです。
路地。それは生活の匂いを漂わせた居住空間です。決して化粧することなく、長年親しんできた空間をそのまま残している。壁のはがれた部分や割れ目が、むしろ歴史や人々の生活を感じさせる。作ろうとして出来るものではありません。
一度通り過ぎただけですが、茂田井宿にも同じ匂いを感じました。あそこもいつかじっくりと腰をすえて写真を撮ってみたいと思っています。海野宿のあり方も古い町並みを残す一つのあり方です。どちらがいいということではないでしょう。整備された美しさと、手付かずの美しさ。
住民にとっては息苦しいかもしれません。海野宿の場合、町並みにあわせて建て替えなければならないというのは大きな制限です。上塩尻や茂田井宿の路地ばかりの町並みには狭苦しさも感じるでしょう。若い人たちは都市部に脱出したいという思いも強いでしょう。
かつて栄えてはいたものの、今では変えたくても変えられずに異次元スポットのように残り、ただ古びて行く。恐らくそれが実情です。部外者としてはただ見守る以外にない。残すも変えるも住民たちの判断です。僕に出来るのは記録することです。
さて、掉尾を飾るのは虚空山東福寺です。なかなか立派なお寺でした。最後の1枚、ここにも見事な塀がありました。これまでの写真はいずれも塀の外側を撮ったもの。これだけが唯一内側から撮ったものです。塀の内側には庭がある。塀の手前の賑やかさがはっ きりと外側との違いを示しています。塀1枚で内と外とが画然と隔てられている。他の塀の内側にもきっと立派な庭があるに違いない。そんなことを思わせます。この辺の住民の方だけが塀の内側と外側を両方楽しめるのですね。